双撃のブックマーク

個人的なブックマークです。

週末はYちゃん

今日は土曜日だけど、そのほぼ一週間先の金曜日の予約をオ○クラに入れた。もちろん指名はYちゃん。前回ホームページでホメちぎっていたUちゃん(写真でも聖少女に見えた)を体験して、Yちゃんの偉大さが分かったので、無意味なつまみ食いやめてYちゃんオンリーで行くことにした。今度行ったら、思いっきり、あの聖少女を可愛がるつもり(向こうには単なるメーワクだろうけど)。

今回かなり期待してUちゃん予約して、(決して悪くは無いけど)あんまりにもフツーだったので、ムダによその娘行ってYちゃんを指名出来るチャンスを失いたく無いと思った。


今日は平和な日曜日だった。酒を喰らい、オ○クラを予約して、ムダに散歩する。ホント素敵だな。

9月18日2023年

 

生活を見直す

ワタシの生活はオ○クラでの散財で破綻しそう(このままいくと)だが、それ以外の要素では破滅の要因らしきモノは見つからない。

ワタシにはライフスタイルをクリープさせる(上昇させる)という思いは一切無いので、そっち方面で散財というのは考えられない。

前にも書いたけど、今より大きなイイ家に住みたいとか、有名レストランで食事したいとか、ブランドものの服やインテリアを買い揃えたりという欲は無い。マリンレジャーのようにカネのかかる道楽をすることも無い。

今住んでいる家で全然オッケーだし、服も安いのでよし。コンビニで買い食いできれば満足できる。

AIの発達した未来社会では人々は仕事を失い、国からあてがわれたなけなしのカネで生き延びる事になるだろうが、そうした人々が不満を溜めていくかというとそうでも無い。ニンゲンとしての志を失っているので、毎日食べられてスマホで何某かの楽しみが供給されれば気楽にやってられる。

その未来ニンゲンの姿がまさに今のワタシだ。

スマホ片手に野良犬のようにほっつき歩き、それで十分満足している。ヒトによっては、それを畜生の生活だと言うだろう。

でも、ワタシが何十年と働き続けて辿り着いた安寧の地がそこだった。

コンビニを転々とし、女子学生の性をカネで買ってオノレの欲望を満たす。その合間にスマホをずっと見つめている。ただそれだけだ。

コレは絶望なのか?そうでは無い。社会や家族への責務から解放されたニンゲンの軽やかな踊りなのだ。確かニーチェもそういうことを言ってなかったっけ?「軽さ」とは一切の重きものの超克だと。「舞踏」はその表現であると。

9月17日2023年

卑小なワタシのiPhone趣味

スマホのことをもっと書いていこうと思ってる。

家のローンはもう無い、子どもは成人して独立している、仕事も退職して今やってるのは所詮アルバイト、つまりあらゆる責任から解放されたワタシは自由なのだ。

FIREとは言えないけど、あらゆる責任から解放されて「自由」になってしまうと、ワタシっていう人間の本当の姿がハッキリ見えてくる。やりたいように出来るからこそ、そのニンゲンの本当の姿が浮かび上がってくるのだ。

つまり、卑小な人間は卑小なコトしか出来ない。したがって、今のワタシにはいかなる「偉大さ」はもちろん、フツーに筋が通っているトコロも無い。

スマホを持ってウロウロし、コンビニで買い食いして、欲情したらオ○クラに行く。イヌ以下の生活だ(犬の方がもっと健全かも)。すべてそれで生活が完結してしまうし、自分自身満足している。

その卑小な自分の、大切な生活アイテムがiPhoneなのだ。

現役で働いているいる時、子どもの教育費にお金がかかる時にはiPhoneを新品で買うかなんていう贅沢は出来なかったけど、今こそそれが許される時期になった。

新品のiPhone買ったとしても、する事はホントしれてる。

せいぜいオ○クラに予約のTEL入れて、女の子にナーシングしてもらった感想をブログに書いたりするくらい。軽いし中身無いコトばっかりだけど、ワタシには😊楽しい。

悲しいコトなんだろうけど、自分に正直に生きるとそういう事になる。

9月16日2023年

Uちゃんには会えたけど

昨日は「はじめまして」のUちゃんだった。そんな事言う資格ないけど、言ってしまえばワタシの望んだ「聖少女」のイメージでは無かった。同時にYちゃんのスゴさが分かった。あんなに透明で穏やかで清潔なイメージの女の子はいないんだって。これからは専らYちゃん(とHちゃん)オンリーで行って、あっちこっち手伸ばすの止めよう。 

極端にオ〇クラにシフトした生活もやめよう。昨日は極上の「聖少女」に会えると思ってて、「?」って感じだったので、もうちょっと違う楽しみに戻っていこうと思ってる。もっとも他の趣味と言っても、スマホと読書と散歩しか無いんだけど。まぁ、それでいっかな。

でも、スマホいじりがスキって言っても、そこに無駄におカネかける必要は無いだろう。

オ〇クラ行って女の子にナーシングしてもらうと、スマホなんてドレもおんなじだろう、って気になってくる。ゲーム極める気なんてサラサラ無いし。変にこだわって高価なガジェット買ってオ〇クラ行けなくなる、なんてコトになりたくない。

オ〇クラ行って少女に「清めて」もらうと自分に本当に必要なモノは何なのかが分かってくる。別に大きいモダンな家に住みたい訳でもない、ミニマリストになって完璧にニートされた環境に身を置きたい訳でもない、最新のiPhone持ちたい訳でもない、人気のゲームをプレイしたい訳でもない。世界のどこかに行きたい訳でもない。実は何も無いのだ。

ただスマホ持ってあちこち出歩いてノマドして、必要に応じて女の子に「ナーシング」してもらえたら、もうサイコーだ。向上心とか未来への投資なんてものも無い。ただユルく今を消費していきたいだけ。

昔見てたブログ

まだ自分が現役世代で働いていた頃、よくミニマリストのブログ見たり本買ったりしてた。こんなふうにスッキリ・シンプルに暮らせたらイイなぁって思ってた。

しかし、今考えたら、なんであんなバカみたいなものに入れ込んでたんだろうと思う。ミニマリストの生活のイメージが自分に解放感なり本物感なりを感じてたんだろうが、今見るとホントつまらないです。って言うか、インチキくさい。

「ワタシはこのワタシらしい時間が好き」みたいなコトを延々と繰り返して、自己暗示でもかけてるんぢゃないか?って思う。ホントはハッピーでも何でも無いのに。

「下らない」ワタシから言わせてもらえば、オ○クラで少女と戯れるコトを覚えたら、いわゆる「癒し」イメージのモノなんて何も必要なくなるし、インチキに見える。だって本当の癒しを若い女の子にナーシングされることで心底癒されてるのだから。

聖少女の女子大生に「ナーシング」してもらうと、いいスマートフォン買えなくても、アルコール入ってなくても、ココロからハッピーになれる。そこには愛なんてわ無くて、おカネと交換された性的なサービスがあるだけだ。でも、ワタシにとってそんなコトどーでもイイ。自分の「渇き」が癒されてココロからリラックス出来るなら何の問題も無い。

言ってしまおう。オ○クラはワタシにとって人生の光である。

9月14日2023年

明日はUちゃん

先週の木曜日Yちゃんに会いに行ったばかりなのに、またまたオナクラを予約してしまった。

今度の女の子はUちゃん。ホントはイニシャル的にYちゃんなんだけど、イニシャルがダブるので次の文字のUにした。

Yちゃん以上の聖少女ってなかなかいないと思うんだけど、あまりにもお店のホームページでホメちぎっているので、好奇心と性欲湧いてきて予約してみた。

ワタシの望んでる時間より少し遅くなるんだけど、ぜひ一回は会ってみたくて指名してしまった。

スゴく楽しみにしてる。ホームページ見る限りはかなり硬い出来そうだし、実際そういうコトが書いてある。

制服がスゴく似合うみたいで、そういう女の子を好きに愛撫してみたい。

ところで、いつも仕事帰りにコンビニ寄って夕焼け見ながら飲んだりスマホ見たりしてるんだけど、今日はとくに気分イイ。多分音楽のチョイスがイイんだと思う。Appleミュージックなんでムダなお喋りも無いんで。夕焼けとエイティーズの音楽がマッチしててホント気分イイ。

明日Uちゃんを思いっきり貪る(むさぼる)つもり。楽しみ。

9月13日2023年

 

Yちゃんの効果

オ○クラのサイトを見ると、今週のYちゃんの予定が出てた。結構出勤してるじゃないか、行きたいな。

ところでYちゃんとの時間をワタシへの「ナーシング」だと見ると、そのナーシング効果はすこぶる高い。

お陰でキレることもクサることも無くなった。満たされたものの強みって言うんだろうか。素晴らしい音楽よりも感動的な映画よりも時間をかけたマッサージよりも、何よりも効果のある「ナーシング」だ。癒され満たされてる。そりゃそうだろう、「巫女さん」に直接カラダもココロも癒してもらったんだから。

「性」って凄いよな。「性」が満たされれば人間としての全てが満たされる。そういうコトがハッキリと分かった。

それに「ナーシング」してもらってココまで満足出来る女の子はそうはいない、ってことも。

9月10日2023年