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15”MacBook持ち歩き日記。

無駄にMacを持ち歩く「私」の日々。

Xperia A SO-04Eのスペックと格安SIMでの使い方とテザリングの設定

http://kakuyasu-sim.jp/xperia-a-so-04e

Xperia A SO-04Eのスペックと格安SIMでの使い方とテザリングの設定

本来ブログを使ってサイトで見つけた記事の共有なんてしない(するとしたらブックマークかTwitterだろう)のだが、ブログでもそういうことができるのかと今更ながら思ってやってみた。
とすると、普段使いのブログっていうのを用意して、そこでメモ書いたり、ブログの下書きしたり、ブックマークもそこでドンドンしたり、ネット生活のプラットフォームとして使えそうな気がする。早速そういうのやってみようかな。

オブジェとしてのMacと「ハルキムラカミ」。

私がウインドウズではなくマックを望むのはマックには「物語性」があるからである。

モノでありながらモノとしてのコンテクストを超えてヒトやヒトの生を彩るもの、あるいは意味付けるものを「オブジェクト」という。なので、ウインド ウズはノートパソコンとしての機能には何の問題は無いが、オブジェクトとしての存在感はほとんど無い。マックを求めているヒトビトは、その自覚の有無に関 わらず、マックが自分の毎日に「物語性」を与えてくれることを知っている。それを単に「マックを持つと気分がイイ」と感じたり、マックというオブジェを多 くコレクションしたり、反応はそれぞれであるけれど。

でも、一番わかりやすいのは「スタバでMacBook開いてドヤ顔する」っていうやつである。こんなの誇張された冗談だろうと思っていたらとんでもない。結構そういうヒトいるいる。でも、これが「マクドで一昔前のネットブック開 いている」っていうのはどうだろう。そこには何の物語も生まれていないので、オシャレさも面白さも気恥ずかしさも生まれてこない。やっていること自体は変 わらないのに、当の本人の意識も周りの見る目も全く違う。「オブジェ」が存在することで確かに何らかの「物語」が共有されている。

だから、これが何もマックである必要も無い。昨日発売されたばかりのムラカミハルキの新作の本でもいいのだ。つまり、スタバでMacBookを開いていても村上春樹の本を開いていても、その「物語」の在り方はほとんど変わらない。当の本人の気分だって変わらないと思う。マックと村上春樹の本はまったく別種のモノでありながら、「オブジェ」としての意味合いはほとんど変わらない。

だから、マックを持ち歩ことに疲れてきたヒトは、このまま本屋にいって村上春樹の新刊本を買うべきだと思う。で、実際やってみて、その気分を味わってみてほしい。

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”ビッグブラザー” Appleをたたえる。

昔使ってたiMacG5のことを思い出した。

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今から10年以上前のこと。

この頃のマックは急速にミニマリズム(当時はそんな言葉も無い)的なデザインに傾倒していくハジメだったと思う。「コンピュータはどこへいったのだろう?」とか、そういうコピーだったと思うのだが、iMacG5は単に新しいタイプのコンピュータが現れたというだけではなく、インテリアやライフスタイルに影響を及ぼすコンピュータの出現でもあった。オシャレなコンピュータユーザーがマックというコンピュータブランドを選ぶのではない、マックというコンピュータがそのデザインに沿ったユーザーやライフスタイル、あるいはユーザーの意識さえも規定してしまう事態になったのだ。コンピュータがユーザーを選んだり、ユーザーを自らのデザインの方向に規定し直すのだ。

ユーザーはマックというコンピュータにリ・デザインされることで、自己たりえるヒトになっていく。それは、ある意味主従が逆転している、かなりアブナい事態なのだが、ユーザーにその危機感は全く無い。今流行の「スタバでMacBook開いてドヤ顔している」人々はそれにドップリはまってしまった人々である。(私もぜひそうしてみたい)

マックには元々そういう魅力っていうか危険性があったのだが、今のデザインストリームに乗ることで、完全に大衆性を獲得した。マックはコンピュータからファッションやライフスタイルを規定するアイテムになったのだ。

かつてアップルコンピュータは、「IBM」をジョージ・オーウェルの「1984年」に登場する「ビッグブラザー」に見立てて、自らをその「支配」に抗するヒロインに見立てたが、今ではアップルが人々の意識を支配するヘロインと化している。

しかし、それがなんだと言うのだろう。そこに身を委ねたとしても失われるものは少ない。むしろ、その方が朗らかに生きられるだろう。アップルコンピュータがデザインしてくれる自意識と価値観の中で生きるのだ。旧ソ連の映像の天才タルコフスキーの映画「ソラリス」では、特殊な生命体であるソラリスという惑星が造り出す幻影に、宇宙船のクルーたちが囚われて、その中で「幸せに生きて」いく姿があったが、まさにそれと同じではないか。

もう一度言うが、我々はマックを、自分を演出するファッションアイテムとして用いているのではない。空虚になった自分を満たすために、アップルのもたらした啓示(マック)を受け取り、それにすがって生きているのだ。マックは我々の「司令塔」なのだ。

アップルの「信者」はすでにそのことを十分「解って」いる。これは立派な「宗教」であり「支配」なのだと。そして、自分たちはその支配を喜んで受け入れていることを。その信仰の中では「スティーブ・ジョブズ」さえも「啓示」を表す「シンボル」の一つでしかない。

私はアップルの信者にはなれないが、アップルの伝えるライフスタイルやデザイン性を好んで受け入れたい。そうする方が快適で、スッキリするからだ。モヤモヤしたものを抱えて、そのイライラからロクでも無いものに囚われるよりはずっと健康的だからだ。

産経新聞 宮家邦彦氏のWorld Watch は、面白い。

今読んでいるのは平成29年3月2日付けの産経新聞。題字に目が止まったので家から持ってきて、今スタバで読んでいる。そのお題とは「トランプ政権の永久革命」。

はっきり言って産経新聞はスキじゃなかった。如何にも大資本と保守政治家のお抱え新聞って感じで。でも、今回の記事はホント、他の新聞では読めないステキな記事だった。何が素晴らしいのかというと、トランプ政権のブレーン(イデオローグと言った方が正しいのかな)のバノン氏を取り上げることで、トランプ政権の基本的なスタンスをはっきりと分かりやすく教えてくれている。

多くの新聞はトランプ政権のイデオロギー的側面についてはほとんど見ようとはしない。トランプ氏がたまたま勢いで大統領になり、その取り巻きは偏狭でちょっとイカれた連中だとバカにしきっているからだ。でも、この東大出身で外務省経験者の宮家氏は違う。バノン氏が単なるバカ出ないことをハッキリ見抜き、その動向を仔細に見ていこうとしているからだ。

彼の書いた記事を読んで初めて私が現在進行中の政治潮流(私はそれを「世界バカ革命」と呼んでいる。)が、まさにバノン氏が意図したものだとわかった。バノン氏は単なる偏狭なイデオローグ(大抵はそういう書かれ方をしている)ではない。現在の世界の情勢と政治潮流を冷静に見つめ、それについて沈思を繰り返している。バカなのはこれまでのリベラル潮流(カラーとしては「自由」と礼節を重んじ、その陰で、自由のための戦いと称して国家の一つや二つを破壊することなど屁とも思っていない、高度にリテラシーを高めた連中の支配)を「進歩的」だと信じて疑わない大手メディアの方なのかもしれない。そういう価値の転倒を余儀なくされるほど、氏の記事は「革命的」だった。私には。

コンビニが生んだ「ネットプリント」は異色のデジタルカルチャーだ | FUZE


コンビニが生んだ「ネットプリント」は異色のデジタルカルチャーだ | FUZE

双撃S四核を初期化した。

このところ双撃のスピードがかなり遅くて(主にネット使用)、我慢できなくなって初期化した。RAM512MBはさすがにキツいのか、インストールするアプリがちょっとでも増えるとパフォーマンスが落ちてしまう。前に使っていた中華パッド(正確には台湾製)も初めは使い物にならないと思っていたが、アプリのインストールをやめてデフォルトのままネット専用機にしたら結構使えたので、その経験を元にブラウザだけで使うネット専用機とすることとした。

 

シャレてて貧しい生活目指す。

これまでムダにおカネを使い過ぎた。そういう生活やめて、ムダの無い合理的な生活を送りたい。私の場合、カフェとネットがあれば、それなりに楽しく出来ると分かってきた。特にネットの力は大きくて、以前のように何かビデオ借りたり本買ったりしなくても十分楽しめるし、その端末になるパソコンだって、この前マック買ったばっかりだし、しばらくはそういうモノを買う必要はない。そんなふうに考えていくと、実際のところ私はほとんど何も買わないで生活出来ると思うんだ。文字通りミニマムにヤレると思う。ただ「スタイル」だけは大切にしたい。UNIQLOとかのファストファッションでいいから、そういうのを使っていつも身綺麗にはしていたい。精神の健康を保つためにも何がしかのファッション性は持ってたい。