双撃のブックマーク

個人的なブックマークです。

ラジオとタブレットを持ってコンビニを占拠しにいく。

最近いかにコストをかけずに楽しめるか、ってのをやっている。今まで女の子と食事行ったりすることに喜びを覚えていたけど、そんなことばっかりしてたら経済的に破たんするって今更ながら思った。本来独りでいることが苦にならないタイプなので、そこに戻ろうって思った。
それでやってるのが、ラジオとタブレットを携えて、特に何でもない街をウロウロすること。(私はそれを「彷徨」Exploringと呼んでいる。なんてことはない、家でテーブルについてネットしてるのとなんら変わらない。)これほど安上がりな過ごし方は無いだろう。ラジオから流れる音楽とトークを聴きながら長々とタブレットを触っているのだ。こう書くと非生産的だが、スマホでゲームに興じるのが許されるのなら、十分オッケーだろう。
ラジオ聴きながらタブレットするなんて、ほんと何処ででも出来るのだが、それにうってつけなのがコンビニのイートインだ。最近お店の中にイートインを設置するコンビニが増えてきたけど、私的にはホントにありがたい。そういうことをするのに一番の場所はスタバなんだけど、コンビニならスタバのコーヒー・ショート1杯のコスト300円で、コーヒー+パン、ビール+肉まんなんかのセットメニューも楽しめる。(コーヒーの100円だけでもよい)そういうところの一席に陣取って、タブレットするのだ。
単にそういうことしてるだけなら、自分の家でするのが一番安上がりなのは勿論だけど、それじゃ引き篭りになっちゃう。でも、自宅そのものをカフェみたいな場所にしてしまう、ってアイデアは魅力的だ。そういう路線で何か出来ることないかな?

癒しのミュージック

iTunesでRichardMarxを聞いている。ドミトリーの真っ暗なベッドの中で聞いているととっても癒される。iTunesがローカルなミュージックバンクからクラウド中心の音楽サービスに移行してから、その使い方がイマイチ分からなかったけど、やっとそのサービスの意味合いが分かってきた。つまり、今までみたいに自分の好きな音楽をレンタルに行って、それを自分のパソコンに取り込むなんてことはしまなくていいんだ。すでにそうやって音楽をレンタルのCDという現物(メディア)に頼らなくても良くなったんだ。クラウドにさえ繋がっていれば、自分の好きな音楽にはいつでもアクセスできるし。つまり、極力楽曲を所有保持しないミニマリズム的な楽しみ方が提供されていたのに、その意味合いがよく分かってなかったということなんだ。なるほどね。

ところで今、androidスマホランドスケープ持ちしながらこの文章打ってるんだけど、すごく書きやすい。たぶん、いま使ってる7インチタブレットと比べてホールドしやすいサイズだし、画面もずっと見やすい。これから暫くandroidで5インチサイズの端末に入れ込んでみようかな。確かにこのサイズ、最適かも。

なんか新しい中華が欲しい。

無駄になることは分かっているが、新しい中華タブレットがほしい。夏にこのvido原道を買ったばかりなんだけど、なんか新しい、安物タブレットにさわりたい。できればオクタコアのがイイんだけど、安いのではクアッドがいいところか。今、メインで使っているのは、7型液晶の「原道N70双撃S 8GB android4.4」。6480円という安さ。1024×600で、CPUはCortex A9(1.2GHz)×2のデュアルコア。サイズは縦116×横190×厚さ11(mm)、重量は270g。ROMは512MBしかない。ストレージは8GB。RAMが512MBしかないので、サクサク使えるということは無い。このタブレットの良さは安物故に気楽に使えるということ。画面にキズがつこうが何しようが気にはならない。それから、この軽さは捨てがたい。私の場合、重くて大きくて、落としたら大破しそうなiPadよりもよっぽど使えると思ってる。もちろん、画面は見にくいし、タッチパッドの反応も良くない。しかし、こっちはApple製品の七分の一のコストでしかないのだ。

紅茶とコーヒーの日々。

私がこのブログを始めたのは、ヘタだが好んでやってる文章書きをして気を紛らわせ、大きな出費となるフーゾクから遠ざかるためだが、もう一つ遠ざからなければならないものとしてアルコールがある。特にビールへの嗜好はあらゆる健康数値を悪化させる原因となっている。で、最近芽生えたのが「お茶」だ。紅茶、日本茶どっちでもいい、陶器のコップに注いだお茶にミルクを少し入れる。つまり、「ラテ」である。このラテっていうのは、気分をいい具合いに落ち着かせてくれる。この発見をしてから、ことある毎にラテを入れるようにしてる。コーヒーは前からよく飲んでいたのだが、どうも最近はトンがったコーヒーよりもまろやかなお茶の方が癒されている。そういう時ちょうど泊ったドミトリーで日本茶の特集をしているムックを見つけ、このお茶路線でしばらくいってみようと思った。
でも、女の子の肌に触れないでいると、全てが偏執的になってくる。変にこだわったり、やり過ぎたり、視界狭窄になって状況が見えなかったり、結構弊害が出てくる(女の子の力ってすごい)。これまでにも入れ込みすぎて熱病みたいになってしまったり、イライラの嵐に見舞われたりしたことあるけど、そういう時ガールと1時間もいたら全てが解消されてしまう。、、、なんだか情けないけど。

ココロの居場所を確保するために文章を書いているのに、それに入れ込みすぎて苦しくなるっていうのも変な話だ。そういう時コーヒーやお茶がかなり癒しを醸し出してくれる。自分のバランスを取るために書き、コーヒーと紅茶をひっきりなしに飲むってのもおかしいが、カフェ巡りして、そこでお気に入りの本を開くのと本質変わらないだろう。

バックパッカー的に通勤する。

ドミトリーハウスを出て、これから職場に向かう。ドミトリーではホントに寛げた。自宅よりもいいかも。静かだし。ポケットにケータイとLINE用のiPod入れて、リュックサックを担ぐ。今日は楽しく働けそう。朝飯はコンビニで買っていこう。こういうことが、期間限定でもいいから、しばらくの間毎日できたらイイんだけど。当然通勤の電車内では中華タブレットさわってる。Googleプレイで中島美嘉聴きながら。

上のポストを書いて36時間は経っている。今は「自宅ドミトリー」(要は自宅をドミトリーに見立てているだけ)の共有Mac(実際は自分のMac)の前に陣取ってサッポロビールを飲んでいる。

ドミトリーハウスの比喩は私の生活に新鮮さと活力を与えてくれる。邪魔くさくて下らないと思ってた家事も、楽しいドミトリーを維持する業務となる。私はドミトリーのハウスキーパーとなって「業務」に勤(いそ)しむ。そういう「設定」が生活の一つ一つが愛らしく美しいものになってくる。これってある種の「魔法」ではないのか?

ドミトリーでくつろぐ。


f:id:dressbot:20161130225459j:plain

ゆっくり寛げるという点で言えば、今日のドミトリーに勝る所は無い。立地が観光地の真っ只中では無いので客数は少ないが、そこから300円と30分かけてでもココに来るべきだ。それほどここは快適で清潔で、オシャレなとこだ。前はホワイトピープルもいたけど、今日はいないみたい。大きなテーブルに陣取っているのは私1人。なんだか、贅沢させて貰って悪いなぁって感じだ。ライブラリーっていうのがあるらしいから行ってみたけど、そこには外国の女性がテーブルに向かって何か書いていた。白人女性の旅行者ってなんか知的でオシャレな印象受ける。今回見た女性もそんな感じ。ここにはサンスイの中古スピーカーが置いてあるんだけど、今夜流れているのはブルーノートのjazz。それを聴きながらタブレットをさわる。至福の時だ。

本日もドミトリー。

今日もゴハンを食べた後ドミトリーに泊まる。楽しみだ。ほんと、そこでやることは分かってるし、特別なことなど何も起こらない。ドミトリーでシャワー浴びて、ラウンジ(共有ルーム)の大きなテーブルでスマホする。後は歯を磨く、ほんと、そんな単純なことばかりだけど、それが楽しく、癒しになるのだ。私自身はそれがドミトリーと中華タブレットのなせるワザだと思っている。少し前の私はムダに刺激ばかり求めていてガールズとのイベント事に熱中していた。異性とソーシャルしてないと充実感が味わえないとなんか焦っていた(ほんと焦る理由なんか何処にも無いのに焦ってたって感じだった)。でも、今は違う。独りで十分楽しんでやっていける。そんな感じ。そして、バックパック背負って街の中を歩けば至福に到れるのだ。これって、一種の技術だと思う。
私の場合、女の子にかけるお金が大きいので、それが無くならなくてもリデュース出来れば、ホント安く過ごせるのだが。(かと言って女の子の肌ほど癒しを与えてくれるものは絶対無いし。)でも、こういう趣味を知っているだけでも、デートやフーゾクに湯水のようにおカネを使うことは無くなるの思う。
でも、これから私はどんなふうに過ごすんだろう。街中をフラつき、コンビニを梯子してタブレットでネットして、たまにフーゾクで抜いてもらい、ドミトリーに泊まる。それを延々と繰り返して年だけ取っていく、、そんな感じ?これってニヒリズムだよね。でも、文句ない。それが私がたどり着いた安らぎのカタチなんだと思う。(殆どホームレスだよね)
今っていう時代のイイところはこういう「ネットホームレス」を可能にしてくれるインフラがある、ってことだ。まずは何よりもコンビニ、マック(マクドナルドの方)、スタバのような街中でロンダリングできる場所がある無数にある、ってことだ。次はネットの普及。街中ならほぼ100%ネット接続できるので、読んだり書いたりが自由にできる。音楽だって聴けるし、テレビや映画だって可能だ。つまり、これまで家でやってたことが街中でできてしまうのだ。、もちろんそれは自宅でするよりも不便なんだけど、それでも外で出来てしまうっていうのは画期的な出来事だと思う。
こういう「ネットホームレス」し出したのは、ポケモンGOしたのがきっかけになっていると思う。スマホ持って独りで街中をフラつくことに抵抗感が無くなったのだ。それまで街っていうのは、「二人」で闊歩するもんだと思い込んでいた。ポケモンGOはその思い込みを解いてくれた。それで今、こうやって独りで街歩きすることが自由にできるって訳だ。