憧れのiOS片手打ち
昨日、iPhoneXをめっちゃステキに扱ってる女子高生を見た。とにか入力画面速くて、ヌルヌルと文字を打ち込んでいく。メインにはZOZOTOWNで品定めしてるみたいなのだが、そのサイトの流し方もメリハリあって、ちょっと今まで自分が見たことも無いリズムでサイトをクルーズしてる。
1番カッコよかったのは、あの大きなiPhoneXを片手持ちして次から次へと文字打ちしてるところ。iPhoneの筐体を斜め持ちして、1秒に2文字くらいのスピードでバババって打ってしまう。買い物サイトを見てる途中にLINEが来るみたいなんだけど、その度に素早く切り替えてテキストしてた。
ああいうの見ると、自分のスマホの使い方の鈍重ぶりが気になってくる。もうちょっとマシに使えないかと思えてくる。最近文章を書く時、フリック入力をするのが億劫なのか、つい手書きとかノートパソコンで書いている。その方が書くことに集中力出来るだからなのだが、あんなJKみたら、もうちょっとスマホでマトモに文章打てるようにならなきゃなと思う。
それにいつも何台もの端末を持ち歩いているけど、ホントそういうの無い。無意味だ、実際。1台で「生きられる」ようにしたい。そのためにはiOSかAndroidかっていうのを選択しなくてはならない。
iPhoneなどのiOSはApple製品のエコシステムやデフォルトアプリの良さから言って、何かクリエイティブなことをする時はイイと思うけど、私の普段使いにはAndroidの方がどうも使い勝手がいい。
私のスマホイジりは、朝のバス停でスマホを取り出すところから始まる。その時にAndroid端末だとホームポジションから右にフリックするだけでGoogleニュースが表れる。この瞬間ってとってもイイ。一日のスタートにピッタリの始まり方だと思う。
iPhoneで同じことしてもニュースは始まらない。どーでもいい雑多な情報が表示される。天気やスケジュールをまずチェックしなくてはならないヒトにはイイかもしれないが、私には萎える設定だ。こういう点はそれらしい気分を盛り立ててくれるAndroidの勝ち。
それから、コレは結構あるシュチュエーションなんだけど、歩きつつバスや電車の時刻表をチェックしたあ時、Androidなら画面上にGoogle検索のガジェットが表示されてるので、すぐに音声で検索できる。しかも、出てくるサイトが的確だ。検索や音声認識はGoogleの圧勝だと思う。
最後は、小さなことだけど、私には大きいのが、サイトを自分が書いているブログに引用する場合、はてなブログの場合、Androidなら内容をダイジェストしたビジュアルなリンクが貼れるが、Appleだとホントにリンクだけになってしまうということ。はてなブログをブックマーク代わりに使っている自分としてはAndroidの方がずっと有難い。
そんな訳で普段何気に使うにはAndroidの方が何かとピッタリくる。Android4.xの頃にはiOSの方がずっと先進的だったけど、今やハードでもソフトでもAndroid端末は全く見劣りしない。
やっぱりダメだわ、iOS端末生活。
このところ米国大統領トランプの集中砲火を浴びて先の見えにくいHuaweiだが、私もHuawei路線を変更して、iPhoneやらiOS端末で行こうかなと思って、色々試してみた。
例えばiPhone Xをメイン端末にして、あとiPod touch やiPhone6などのiOS端末をモバイルルーターで運用してみようと考えた。
iPod touchの第4世代なんて、もう今のネット環境では負荷が重すぎて対応出来ないが、Retinaの画面は今でも美しいし、ツィッターならまだまだやっていける。
それでiPhoneのXや6あるいは5、そしてiPodtouch の第四世代~第六世代なんかを取っかえ引っ変え使ってtweetしてみた。やっている時はそれなりに楽しいし、iOS端末の良さを感じるんだが、なぜかイライラがつのる。その理由が全く分からなくてよけいイライラしていたのだが、たまたま久しぶりにHuawei(P20LITE)触ると何故かスッキリした。「コレだ!」と思った。
ハッキリした。私はiPhoneがスキでは無いのだ。何処でどーなったのかも分からないが、Huaweiとか中華端末が私はスキみたい。
私の友だちもAndroid一本でやっているのだから、それもアリなんだとハッキリ分かった。
私もこの口か?
52歳弟の「孤独死」が兄に作り上げさせた仕組み(東洋経済オンライン) - Y!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190421-00276978-toyo-soci #Yahooニュースアプリ
決して他人事では無い。
iPhoneで行ってみる。
このブログは専らAndroidの中華端末について書いてきた。それも1万円するかしないかの安物中華タブレットが中心であった。
私は本来Appleファンであり、iPhoneやMacBookに憧れていた。しかし、その憧れという言葉の通り、Appleの製品は満足度は高いものの、価格が高過ぎるのだ。中古も殆ど値下がりしない、そんな高嶺の花で、私にはなかなか微笑んでくれない存在だった。
ところが私にも、何故だかお金が回ってくるようになり、決して買えない存在では無くなった。と同時に、日本市場でのiPhone一人勝ちの結果、結構な数の中古iPhoneが溢れるようになった。当然、価格は下がる。
そうした相乗作用によって、iPhoneはかなり近しい存在となってきた。
その結果、私は今結構な数のiPhoneを所有している。しかし、新品で買ったものは一つしかない。
iPhoneの魅力は、端的に言って、その「ユーザー体験の素晴らしさ」にある。iPhoneは裏切らないのだ。手にして、ネットを閲覧してみて、文章を書いてみて、何かをするたびに「これってiPhone?」と言いたくなるような、iPhoneの特別な何かに気づかされる。
それは中華の安物端末、あるいは躍進激しい中華のミドル端末では味わえないようなワクワク感なのだ。
今まで「iPhoneなんて贅沢言っちゃいけない」って思い込んでたけど、そうでも無い。iPhoneはもう手の届く存在だし、そこで感じる満足感に背徳感を感じる必要も無い。
そういうことで、しばらくはiPhoneでいってみようと思う。