ドミトリー日記

「自宅」はドミトリーで住んでいるつもりで生活してます。

「我が家」というドミトリーで目覚める。

今朝は五時前に目が覚めた。これが京都のドミトリーだったら、すぐに身支度して電車の駅に向かうところだが、今日は「自宅」だ。しかし、以前のようにボンヤリ起きることはない。なんだか、意識はまだ旅の最中で覚醒している。起きた途端、「動く」こと、支度すること、職場に向かうことをもう体が始めている。 「ドミトリー生活」の何がいいのかわかってきた。自分を 「旅行者」とすることで、あるいは自宅を「宿」だと規定することで「澱む」ことが無くなる。「自宅」での「定住」は退屈だ。カラダも意識もなまってしまう。私にとって「ドミトリー生活」とは、シンプルになり、常にオンザムーブするということなのだ。