読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ドミトリー日記。

ドミトリーを経営しているわけではありません。

ドミトリーは ノマドの延長。

一時「ノマド」っていうのが流行った。つまり、オフィスなんて言うものを一切持たず、スマホと街のカフェだけを頼りに仕事してしまう、っていう新しい働き方だった。実際やってみると、労働環境としての劣悪さに閉口することになると思うが、そもそもは自分で独立して何らかのビジネスをスタートアップするヒトが、ちょっと前ならそれなりに会社インフラ(スモールオフィス、電話、ファックス、デスクなど)に投資しなければならないのが、今は情報機器の進歩とネットやカフェなど街中インフラの充実で、極端に言えばスマホ一つで始められるという主張だった。それがアイデアとしてもすごく面白いので「ノマド」として世間にももてはやされたんだろう。

ノマド」の発想が画期的だったのは、ホントに必要なものを選んで行けば、ビジネスだって数点のアイテムでできることを看破したところだった。「オフィス」という必須のものも、カフェなんていう都市なら何処にでもあるもので代用できるんだと言い切ってしまう思い切りが新鮮だった。(実際にはオフィスがないの信用してもらえずビジネスとして成り立たないってことも多いと思うけど)

こういう思い切りを仕事から生活そのものに移行させたのがミニマリズムだと思う。「ノマド」で最低限の仕事環境を求めたように、「住む」ということから不要なものを除いていったら、見えてくるものが沢山あったのだ。ドミトリー生活は、さらに「住む」場所さえ街中のインフラに頼ろうとしている。ちょっと前なら「ホームレス」とか「ドヤ街」住まいとされ、嘲笑か憐れみの対象となっただろう。ところが今はエクストリームではあるけれども、一つのライフスタイルとして見てもらえると思う。読者層的に言うと、かつての「ノマド」志向のヒトと現在の「ミニマリズム」志向のヒトはかなり重なっていると思うのだが。

しかし、決定的に違うのは「ノマド」は環境やアイテムを精選し、シンプル化するのはあくまでもビジネス成功の手段であって当面の方便なのに対して、「ミニマリズム」はシンプル化が半ば目的そのものになっている。つまり、生活のシンプリシティを維持し、さらにその洗練度を上げることを目指してるのだ。なぜシンプル化が目的化するのかと言うと、ほれによって得られる至福感というものをミニマリストは知っているからだろう。生活は軽やかになり、ココロは満たされて、まるで信仰を得たヒトのようになれるからだろう。多分。