双撃のブックマーク

個人的なブックマークです。

「自宅ドミトリー」という感覚。

最近「ドミトリーハウス」に泊まらなくなったと書いたけど、それは自宅でも「ドミトリー」のように暮らせることがわかってきたから。つまり、自宅を自宅と感じるのではなく、誰かさんのお家に間借りして生活させてもらっているという感覚が持てるようになったのだ。そういう意識を持つことで「住む」こととは、一種の緊張関係をもって過ごせるようになる。そして、それが実は快適な生活に至る道だということもわかってきた。

「自宅」ではないので、その辺に寝転がったり好きにダラダラすることはできない。できるのは自分のベッド内だけである。風呂やトイレも他の人の使用も考えて極力清潔さを保てるように使う。服装だってそう。オシャレじゃなくてもいいから、とにかく「清潔」であることを第一条とする。そういう「他所様のトコロにお邪魔している」という感覚が生活をキリッとしたものにしてくれる。

このキリッとした感覚が無いと、「住む」ということが果てしなくだらし無くなり「住む」ことが意識の俎上に乗ることもなくなり、刺激にも喜びにもならない、つまらないものに堕してしまう。

「自宅ドミトリー」というアイデアを持つことで、常に生活からモノを取り除き、身なりを清潔に保ち、要は環境も自らも(総体としての自己も)常にスッキリさせていこうという決心あるいは習慣がついてくる。これはすごくありがたい。この意識こそがヒトを健康に導き、生活も意識もスッキリ快適にしてくれる根本なのだ。