ドミトリー日記

「自宅」はドミトリーで住んでいるつもりで生活してます。

自宅ドミトリーという視点。

去年の今頃だったか、「自宅ドミトリー」という感覚を持って生活することにした。ホントは自分の家なんだけど、自分はその家になんとか「住まわせて」もらっているという想定だ。でも、そうすることで何故か「生活を愛する」ことができるようになる。生活の一コマ一コマを大切にするようになるのだ。「喰う」「寝る」ってことがなんだか楽しいことになってくるのだ。

人間、「楽しく暮らす」のにあれやこれやが本当にいるんだろうか。例えば寝たり書いたり(私の生活の中ではこの二つが重要)するのに、自分の部屋というモノが必要なんだろうか。答えはノーだろう。多くのヒトがそういったものが必要だと信じている。あるいはそうしたものがあれば、より生産的になれると思い込んでいる。こういう思い込みや迷信に支配されることをやめたい。それが「ドミトリー生活の」を始める動機だ。