双撃のブックマーク

個人的なブックマークです。

後悔後にたたず

自分には珍しく身辺の整理をしていた。あまりにも雑多なモノが増えすぎたので、ミニマリストまでは到底行かないまでも持っているものを減らそうとしてみた。

そんな中で母の日記を見つけて読んでみた。母はすでに亡くなっている。

日記に綴られている文章を読んで衝撃を受けた。そこに書かれている文章は感性豊かな書き手によって綴られたものであり、私の知る母が書いたとは思えないものだった。

私がたまたま読んだのは母が晩年に書いたものだったが、そこには自分も老い先それほど長くは無いであろうことが書かれていた。しかし、その日のように秋の陽光に木々が照らされて輝く美しい光景を見ると、この世を去るのはやはり名残惜しいと生への執着が書かれていた。しかし、その直後にこれも順番だからと自分を納得させて日記を終えている。

私は深い後悔の念に駆られた。母が置いていく中でも、これほどまでも感性豊かに生き、近くこの世とのお別れと向き合っていたのに、ワタシは知る由もなかった無かった。ほとんど母と向き合ってこなかったからだ。

残念。ただ残念だった。

その時のワタシと言えば、自分のことしか頭になく、自分を慰め、自分を満たすしか頭に無かった。ガッジェットのことばかり考え、女の子をデートに誘うことしか考えていなかった。母がどういう状況で何を考えているかなど全く興味が無かったのだ。

あまりにも酷い無関心ではないか。ワタシのエゴの醜さに自分で今更気づく。それと同時に母に「すまない」「申し訳ない」という気持ちで一杯になった。それを今から改めて母に詫びるということもできないのだ。この「償いたい」という気持ちをどう表せばいいのか。母ならワタシにどう言うのだろうか。