双撃のブックマーク

個人的なブックマークです。

聖なるオ○クラ

神道での「けがれ」の概念を説明した一文があったが、それにピピっときたので一部を転載する。


神道では「穢れ」とは「汚れ」とか「汚い」という意味ではありません。 「穢れ」とは「気枯れ=生命力が枯れた状態」を指すものです。 神道では「清らかで若々しい生命力」を最も重要視しています。 それゆえ生命力が枯渇する「穢れ」を死につながるものとして忌み嫌う、、、、、』


っていう感じなんだけど、「清らかで若々しい生命力」って正にワタシが女子大生に求めているもんぢゃないか。そうか。そうだったのか。
肌の汚い女の子や学歴が低い女の子、不登校だった女の子がダメなのは、それが「気枯れ」た状態で、年齢は低いかもしれないが全然「若々しく」無いし、生命力も感じられないからだろう。ワタシが求める「性」は「聖」であり、「無垢」でないとダメなんだと分かった。つまり、これは神様への「お参り」なんだ。
何だか妄想めいた説明になってきたけど、自分では合点がいった。キューキョク巫女さんとのセックス、それが理想なんだと思う。
だからワタシがオ○クラに行くのは神社詣であり、「聖なる」行為だし、オ○クラで出会う女子大生はみんな巫女なんだ。そして、彼女らに清めてもらって「若々しい生命力」を分けてもらう。そういう場だったんだな。
そう思うと自分がこれからどういうものを志向していけばいいのか分かってきた。逆に自分が志向しているものが自分で分かってないと、いつまでも合点の行かないフー○ク通いをしたことになっただろう。

8月24日2023年